加賀丸いもの歴史
根上産加賀丸いも
その昔、旧根上町(現 石川県能美市)五間堂町に沢田仁三松というお百姓さんがいました。沢田さんは、稲作や養蚕で生計を立てていましたが、当時、大変珍しかった養鶏を始めるなど大変チャレンジ精神のあふれる人で、野菜類の品種改良や普及にも一生懸命に努めていました。
大正時代のある時、沢田さんは家族の健康と農業の繁栄を願って伊勢神宮にお参りに行き、その帰りに、丸いも(伊勢いも)を買いました。
持ち帰った 丸いもを食べたところ大変美味しかったので、残った芋を畑に植え育てました。最初は小さく生姜のようにゴツゴツとした芋でしたが、作り方に色々と工夫し改良に努めたところ、大きく丸い芋が出来るようになったのです。その後、繭や牛首紬の行商で関西から丸い芋を持ち帰った秋田忠作さんも丸い芋の魅力に憑りつかれ、沢田さんと秋田さんとゆう先覚者の不断の努力によって改良は続けられ五間堂の特産品となり、それまでの「五間堂いも」から「たんころいも」と名付けられる様になりました。
昭和9年(1934年)7月10日から11日にかけて手取川が氾濫した事により加賀地方一帯に97人もの死者と大きな被害の爪痕を残した大水害がありました。この水害により、霊峰白山から流れ出る土砂と加賀平野の土質が堆積した川砂と水田の泥が入り混じり、これまでの土質が変わってしまいました。しかしこの土壌の変化は丸いも栽培に適した絶妙の土壌だったのです。これにより、ますます味よく、形の良い芋が採れるようになったのでした。
戦後、この芋を旧根上町農会技師であった島田兵次郎さんが【加賀丸いも】
名付け、今に至ります。
【加賀丸いも】は能美市を主産地とした手取川扇状地帯にしか出来ない特産品なのです!
加賀丸いも ― 分類
加賀丸いも ― 特徴